いまもっとも勢いのある若手指揮者、山田和樹は2009年9月、日本に大きなニュースをもたらした。若手指揮者の登竜門として知られるブザンソン国際指揮者コンクールで、見事優勝の栄冠に輝いたのである。
これまで同コンクールの日本人優勝者は多く、山田和樹は8人目となるが、その後の活躍がすばらしく、ヨーロッパの著名なオーケストラから次々にオファーが入り、2012年シーズンから名門スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者を務め、2016年モンテカルロ・フィルの音楽監督兼芸術監督に就任した。
さらに日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団のミュージックパートナーをはじめ、さまざまなポストを得、破竹の勢いで指揮者街道をまっしぐらに走り続けている。
山田和樹は、東京芸術大学卒業後、内外でさまざまな活動を行っていたが、2007年にブザンソン国際指揮者コンクールに参加した。このときは第2次予選までしか進めず、この時点でヨーロッパで勉強しなくてはならないと心に決める。そして翌年、ベルリンに住む決心をし、その半年後に再び同コンクールに参加した。
「背中を押してくれる人がいたんです。ぼくはもっとじっくり勉強してからと思っていたのですが、優勝した後は次なるコンサートの指揮で頭がいっぱいになり、常に目の前のコンサートに集中し、全力で立ち向かうという姿勢を貫いてきました」
転機が訪れたのは、コンクール優勝の2カ月後にパリ管弦楽団を指揮したこと。フランス作品とベートーヴェンの交響曲第7番を振ったが、このニュースがまたたくまにヨーロッパ各地に伝わり、ドイツなどから招聘が相次ぐことになった。
「パリ管を指揮したときは、まるで夢のようでした。これまでと違うステージに進んだという感覚を抱いたのです。その後、2010年にスイス・ロマンド管を初めて指揮しました」
スイス・ロマンド管弦楽団はジュネーブの美しいヴィクトリアホールを本拠地としている。山田和樹は初めて同オーケストラと共演したときから、相性のよさを感じた。
「自分の身ぶり手まねがすべて音として具現化される。自分の体重が指揮台の上で亡くなってしまうような、不思議な浮遊感を感じるのです。このオーケストラは色彩感がすばらしく、フランス作品やストラヴィンスキーを演奏すると最高です。指揮していると至福のときを味わうことができます」
スイス・ロマンド管弦楽団は当初、音楽監督を提示した。だが、その重責を担うのは時期尚早だと考えていたところ、首席客演指揮者という初めてのポストを作って招いてくれた。
彼は小林研一郎をはじめとする多くの恩師に恵まれ、小澤征爾からも信頼されている。そうした偉大な指揮者の教えを守り、岩城宏之、若杉弘の活動を踏襲したい考え、さらにカラヤンのように幅広い客層の心をとらえる音楽を目指したいと語る。そして夢は…。
「いま、合唱は合唱、オーケストラはオーケストラなど聴衆は音楽の分野別に聴きにいきますよね。ぼくはそうしたお客さまを循環させ、一緒にしたいのです。そのためには興味深い企画を練らなくてはならない。日本に戻って日本フィルの指揮台に立つときは、前回より成長していないといけない。勉強あるのみです。夢は60歳になったとき世界一流のオーケストラを指揮できるようになることです」
その音楽はいまや世界の人々を魅了し、活力と癒しと勇気を与えている。
写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団