楽器の演奏のみならず、作曲や編曲までこなす音楽家は多く見られるが、クラシックからジャズ、テクノ、コンテンポラリーまで幅広く演奏し、しかも各ジャンルでいずれも高い評価を得ているというのはフランチェスコ・トリスターノしかいないのではないだろうか。
1981年ルクセンブルク生まれ。欧米各地の音楽院で学び、2000年にアメリカ・デビュー。2004年にオルレアン20世紀音楽国際ピアノコンクールで優勝の栄冠に輝いた。以後、各地でさまざまなミュージシャンと共演を重ねている。
「ぼくが生まれ育ったのは、ルクセンブルクという小さな国。その地理的な位置や状況が、ぼくの目を外へと向けることに役立ったのだと思う。子どものころからいろんな国を旅してまわり、さまざまな人々と交流してきた。それが音楽にも影響し、ひとつのジャンルにこだわったり一箇所に留まることなく、視野を広くもち、自由を尊重することにつながっているのだと思う」
母親がずっと仕事をしていたため、子どものころからランチは自分で作るなどさまざまな面で自立していたという。彼女が大の旅好きだったため、世界各地を訪れることができた。そしてクラシックの専門家ではないが、音楽をこよなく愛していたため、ピアノを習わせてくれた。母方の祖父はイタリア出身で、祖父はよくアコーディオンを演奏していた。
「ウチの家族はみんな自由を愛し、音楽を愛し、食べることが大好き(笑)。そんな環境のもと、音楽家になりたいと思ったのは12歳のときだったけど、ピアニストとか作曲家とか限定することなく、すべてを網羅する音楽家になりたかった。もちろんいまはクラシックが主体だけど、クラブに行けば飛び入りして演奏するし、だれとでもどこでも音楽さえあればコミュニケートできる。でも、一番好きなのは、やはりJ.S.バッハかな。バッハがない人生は考えられないから」
186センチの長身を折り曲げるようにしてピアノを弾く姿は、実に個性的。モデルのような容姿の持ち主だが、素顔はとてもフランク。そして奏でる音楽は集中力に富むインパクトの強いもの。大変な練習魔として知られる。
「自由な音楽を奏でためには完璧な準備が必要。それができたときに初めて精神が自由になるのだと思う。ぼくはバッハの音楽に出会ったとき心が震えた。バッハは両手に平等に音楽を与え、それらが大伽藍のような壮大で壮麗な音楽を構成していく。なんというすばらしい世界だろうか。母が5歳のときに初めて《メヌエット》の楽譜をプレゼントしてくれたんだけど、それを弾いたときからいままでずっとバッハに魅了されている」
彼は初来日時から日本にハマり、布団で寝ることを希望し、居酒屋に行き、銭湯ではしゃぎまわる。ディープな体験をしたため、東日本大震災に非常に胸を痛め、アーティストの来日中止が相次ぐなか、「絶対に日本に行って演奏する」といい、コンサートを実現させ、被災地も訪れている。
そのピアノは躍動するリズム、急速なテンポのなかに静謐な美が宿る。そこからは心やさしいフランチェスコの祈りの音楽が聴こえてくるよう。6カ国語に堪能な彼、日本語習得も早そうだ。
いまでは大の和食党で、自分でもお料理するほどだ。私が初めて会った初来日時には、ゆずこしょうに開眼していた。
そこで、フランチェスコのレシピはゆずこしょうの効いた和風パスタを考案。何度食べても飽きない、少し具材を変えるとさまざまな形に変容する、まさにフランチェスコの音楽にピッタリだと思うけど、いかが?
写真 Aymeric Giraudel