「ピアニストとして活動していたころは求心的に音楽と対峙し、演奏に対して自己批判がはげしく、コンサートが終わって家に帰ってからもひとことも話さないほど無口でした。ところが指揮者に転向してからはオーケストラとのコミュニケーションを第一に考え、彼らに気持ちよく演奏してもらうためには私自身が常にいい精神状態でいなくてはならないと思い、演奏の結果を気にせず前向きになったんです。みんな私をおしゃべりだといいますが、本来はまったく逆の性格なんですよ」
チョン・ミョンフンの指揮は熱くはげしくスケールが大きい。オーケストラから豊かな音楽を導き出し、聴き手をその熱きパッションで大きく包み込んでいく。当初はピアニストとして活動を開始したが、やがて指揮者に転向し、1989年にパリ・オペラ座バスチーユの音楽監督に就任して話題となった。
「私は指揮を仕事と考えたことはありません。いつも自分は偉大な作曲家に仕える身であり、作品のメッセンジャーだと考えています。クラシック音楽は世紀を超えて存在し、継承と発展を続けてきた希有な芸術形態。世界中の人々が真の感動を得ることができるものだと確信しています。どんな国の人々もからだと魂の奥深いところに自分の内声をもっていてそれを聴いてもらいたいという欲求を抱いています。その声を音楽に託したのが作曲家であり、それを音として蘇らせるのが私たち音楽家の使命。ですから、不断の努力をし、才能を磨き、常に前進せねばならないのです」
こう語るチョン・ミョンフンは、近年ピアノを披露することも多く、以前「別府アルゲリッチ音楽祭」でアルゲリッチとピアノで共演した。
「アルゲリッチとはことばを交わさなくも理解できる仲。リハーサルから音楽がピタリと合います。彼女も自分が前面に出るのではなく作品のすばらしさを伝えたいと願い、真摯な演奏をする人。その姿勢に強い共感を覚えるのです」
チョン・ミョンフンの趣味は料理。韓国では本も出版するほどの腕前。だが、身の回りのことや仕事の雑事はすべて夫人任せ。洋服を選んだことも理髪店に行ったこともない。
「指揮と料理以外はまったくダメ。お金の計算も大の苦手なんですよ。彼女が太陽で私はその光に照らされている月です(笑)」
内向的というマエストロは、夫人の話になると表情が一変、明るくなる。
「私は自分がアジアの音楽家ですから、今後はアジアの若手演奏家が世界の舞台へ飛び出していくチャンスに手を貸したいと思っています。それはアジアが欧米の音楽家と同じくらいクラシックを理解できるんだと知らせることではなく、世界中の人々が音楽というものをオープンな心でシェアできるという環境を作りたいんです。それにはまずアジアのなかで音楽的な環境、勉強の場を作らなくてはならない。とても長い時間を要する仕事ですが、父から受け継いだ体力面と、母が授けてくれた精神的な強さを生かして、できるだけやってみます」
チョン・ミョンフンの前向きでエネルギッシュな音楽性と人間性を鑑みると、アーティストレシピは焼肉以外には考えられない。タレはお好みで甘さ、辛さを加減して、ぜひ自分流の味を見つけてくださいな。