Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

音楽を語ろうよ

弱音は聴衆の集中力を促し、より注意深く聴こうとする意識を生み出すのだと思います。
セドリック・ティベルギアン (ピアノ)

Playing quiet notes draws concentration of the audience and makes them feel
that they want to listen more attentively to the music. ― Cedric Tiberghien (Piano)

2016.03.18.

セドリック・ティベルギアン (ピアノ) photo01

©Jean-Baptiste Millot

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏

 ヴァイオリンとピアノのデュオは、本当に両者の息が合わないと、作品の神髄を表現することはできないといわれる難しいジャンルである。パリ国立高等音楽院で学び、1998年のロン=ティボー国際コンクールで優勝に輝いたフランスのピアニスト、セドリック・ティベルギアンは、ロシア出身で、ロンドン王立音楽院で研鑽を積んだ後、いくつかの国際コンクールに入賞したアリーナ・イブラギモヴァと組み、2009年から2010年にかけてロンドンのウィグモア・ホールでベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏を行い、高い評価を得た。それをライヴ収録し、その後来日公演でも息の合ったデュオを披露した。
 そして彼らは次なる目標にモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏を掲げ、日本では2015年10月1日、2日、3日と2016年3月24日、25日の5公演を計画した(王子ホール)。このシリーズのプログラムは全曲を作曲順ではなく、作品の内容を考慮して組み立てられているが、ふたりがもっとも頭を悩ませたのも、プログラムの構成だったという。
「ベートーヴェンとシューベルトの作品を演奏してきましたが、いまようやくふたりともモーツァルトと対峙する準備が整ったと感じたのです。私たちは十分に話し合い、モーツァルトのソナタ全曲演奏に向かって歩みを進めることにしました」

セドリック・ティベルギアン (ピアノ) photo02

ベートーヴェン:ヴァイオリン・
ソナタ全集
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)
KKC5323/25(キングインターナショナル)

室内楽に魅せられて

 ティベルギアンとイブラギモヴァの出会いは2005年。BBCラジオ3の「ニュー・ジェネレーション・アーティスト」に選ばれ、そのときに初めて共演して意気投合、コンビを組むことになった。
「アリーナと初めて共演したとき、ことばはまったく必要なく、同じ音楽的考え方と方向性をもっていると感じました。すごく信頼できるし、相手の音を聴きながら自分の音楽を存分に発揮することができる。そういう相手にはなかなか出会えませんから」
 ティベルギアンは、昔から室内楽をこよなく愛してきた。ピアニストとしてデビューしてからは、もちろんソロもコンチェルトも演奏するが、もっとも自分が自由になれ、心地よく、楽しんで演奏できるのは室内楽だという。
「ピアニストは孤独です。だれか共演者がいると、一緒に音楽を作っていける。それがたまらなく好きなんです。ピアノはすばらしい楽器ですが、レガートは出せない。弦や木管や声楽と合わせると、流れるようにうたい、融合し、美しい歌をうたわせることができる。呼吸するといったらいいのかな、音楽が生きているという感じがするのです」

5歳になりました、ピアノを習いたい

 ティベルギアンは2歳半のとき、両親の友人であるピアノの先生の家に食事に招かれ、そこでピアノに出合った。先生はピアノの構造や音の出し方など、セドリック少年を膝に乗せて、ていねいに説明してくれた。
「両親の話によると、その夜ぼくは起き出して両親のところに行き、もう一度ピアノが見たいと騒いだそうです。ピアノのとりこになってしまったわけです。先生に相談すると、まだあまりにも小さすぎるから、5歳まで待った方がいいといわれました。そして5歳の誕生日に、ぼくは“5歳になりました。ピアノを習いたい”といったのです。それからはピアノにかじりつき、猛練習の日々。親がもうやめてくれ、といったくらいです(笑)」
 セドリック少年は、新しい曲を始めると、すぐに最後まで弾かないと気がすまなかった。初見が効くため、とにかく最後まで通して弾いてしまう。
「いまでもそれは変わらず、とにかく通して全部弾いてみる。それから細部までじっくり楽譜を読み込み、徹底的な練習を行っていく。これは子どものころからの性格で、どんな勉強でも早く上達したくてたまらなかった。6カ月かかるような科目でも、できる限り早くこなしてしまう。でも、ひとつ危険なのは、そういうやり方では質が落ちてしまうことが往々にしてある。それを回避するためには、早く目標に達することだけを考えず、どうやってそこに到達するかを考える。その精神を私にたたき込んでくれたのが、師事した先生でした」

セドリック・ティベルギアン (ピアノ) photo03

©Benjamin Ealovega

モーツァルトと恋に落ちた

 ティベルギアンは、「音楽とは自分の内側にある物を音で表現すること」と明言する。ただし、奏者の内なる部分は人には見えない。その見えないところを音として表現し、語るように紡いでいく。今回のモーツァルトのシリーズにあたり、作曲家の書簡集から資料、さまざまな版などを探求し、作品への理解を深めていった。そしてプログラムを作るにあたり、“音楽自身に語らせる”ということをモットーに掲げ、アリーナとともにモーツァルトの幼いころの作品も入れようと決め、作曲家の全体像がつかめる形にした。


"モーツァルトのヴァイオリン・ソナタでは、ピアノは非常に重要な役目を担っています。ピアノが主となる作品も多い。7、8歳のころの作品もとても興味深く、天才の萌芽を垣間見ることができる。今回のプログラムでは、神童が偉大な作曲家に成長していく経緯を体感できると思います。私たちは探求していくにつれ、モーツァルトと恋に落ちてしまった。その愛の表現を聴いてほしいですね"

"In Mozart’s “Violin Sonatas”, piano has a very important role There are many works that the piano becomes the main. There are interesting works written at the age of seven or eight, in which one can catch a glimpse of his genius. With this programme, you will be able to experience how the child prodigy grew up to be a great composer. We fell in love with the composer during our quest for Mozart. We hope you could feel our expression of love in our performances."

 ティベルギアンは、今回ソロ・リサイタルも予定している(3月28日 ヤマハホール)。彼は自然、写真、絵画、数学など、すべてのなかに「美」を見出すことを喜びとしている。もちろんピアノにおいては、最大限の「美」を表現する。思慮深く、知的で内省的でもあり、ピアノひと筋の人生を送っているティベルギアン。その弱音の美しさは格別である。浸透力が強く、凛とした弱音が聴き手の心に響く。
「弱音は聴衆の集中力を促し、より注意深く聴こうとする意識を生み出すのだと思います。単に弱い音ではなく、人の心にゆったりと浸透していく音。それは究極の“美”ですね」

次回は佐渡裕 (指揮)